ある秋の暮れの夕駆け ニペソツ山の冬支度

日本二百名山のニペソツ山。
それに加えて山容は凛々しく、まさに様になる面構え。ずっと登りたかった山だった。
遠い北海道の東大雪にあるため、中々訪れる機会が訪れなかったが、10月上旬に幌加温泉コースから念願叶って登頂。
晩秋の雪に閉ざされる直前、1泊2日の最高級に充実した山旅となった。

10月上旬の木曜日。北海道へ飛び立つ。
明日金曜朝の天気予報がすこぶる良いため、どうしても本日中に稜線上へテントを張りたい。

新千歳空港に到着したのは10時。
これが始発かつ最速。
時間の猶予はなく、大急ぎでレンタカーを借りて高速道路を走らせた。

2016年の台風被害により、当時主に使われていた杉沢コースが通行不可のため、今回は幌加温泉コースから山頂を目指す。

まずは幌加温泉脇の登山口ゲートへ。
そこから2km先の駐車スペースまで車で詰めることができるが、道中は砂利、泥、更には大きな水溜りまで通る悪路。
通行は自己責任となっている。

今日は時間との勝負。
ここを詰めて限りなく時間を短縮するため、レンタカーを予め4駆に指定しておいた。

空港から真っすぐ登山口に向かったものの、それでも到着したのは午後2時30分を回ったころ。
通常では遅すぎる、リスクの高い入山。
それでも今日中に入山して明日の朝、秋晴れのニペソツ山を目に焼き付けたい。
テントを背中に背負い、いざ出発。

出発の段階で登山口から2km。これは車で稼いだ距離。
既に日は傾き始めている。

北海道の日没は至極早い。
恐らくあと2時間程度で日は落ちる。
稜線上の野営地までおおよそ3時間半〜4時間半のため、いずれ暗夜行路になることは間違いない。

何の変哲もない登山道だが、北海道の山中にいると思うとやはりヒグマが怖い。
なんとか日没までに、できるだけ距離を稼ぎたい。
そんな不安がおのずとテント泊装備の重い足を急かせる。

そんな気持ちを削ぐのはこの悪路。
幌加温泉コースは地面のぬかるみが酷い。
前日に少し雨が降ったようだが、その影響だけとは考えられないほどの泥沼。
なんとか登山道の端を通って泥を避けようとするも無意味。
どこを踏んでも足首まで沈むような場所も多々あった。

こんなもの気にしていられないと、途中からは諦めの境地に入った。
まるで田んぼのような道を、汚れも気にせず一心に歩く。
普段は横着して何も付けない自分も、初めてゲイターの有り難みが身に染みた。

登山開始から約1時間15分、午後3時45分に三条沼へ到着。
静かな森の中に佇む雰囲気の良い場所だが、先を急ぐ不安からか当時は物寂しさを感じた。
今ここには他に人の気配すらないが、もし八ヶ岳あたりにこんな場所があれば、観光客で賑わうんだろうな。

歩き始めて1時間半。
時刻が午後4時半を過ぎた頃から、辺りは少しずつ薄暗くなってきた。

北海道の山中での夕暮れ。
テント場に到着するまでにいずれ暗くなるのは分かっていたが、空が暗がり始めるとやはり心細い。

歩き始めて2時間を過ぎたあたりから、景色が開け始めた。
その一方で、日はあっという間に落ちる。

夜が近づき、そろそろ肌寒くなってきた。
と同時に景色がぱっと開けて目に飛び込んでくるのは、夕暮れに佇むニペソツ山の雄姿。
間違いなく目的地に近づいていることを確認。

多少の悪あがきでヘッドライトを2つ持参したが、この大自然を前にしては無力。
夜道の恐怖感を払拭するほどの光量は確保できず。

たまにカラスのような鳥が、木陰からいきなり音を立てて夕焼け空に飛び立つ。
その度、もしやヒグマが出たかと心臓が飛び出そうになる。
北海道での夕駆けは常に周囲に怯えながら。
全く心臓に悪い。
冗談ではなく、実際に寿命が縮んでいる気がする。

午後5時半。この時間ともなると、もう辺りは完全に夜。
夕暮れ時にニペソツ山を眺めた展望台以降は、傾斜が急になってきた。

木の根が張り巡らされた道や持ち辛いロープの急登が続き、思うようにペースが上がらない。

闇夜に聞こえるのは、恐らくナキウサギであろう動物の鳴き声だけ。
10月上旬とはいえ、積雪量も増えてきた。

稜線のテント場に向かう手前の急な坂。
目的地が見えない不安は大きい。

午後7時。
出発から4時間半かかり、前天狗野営指定地へ到着。
登山シーズンに設置されるトイレブースは、既に前週撤去されていた。

もはや冬のような寒い風に吹かれながら、テントを設営。
なんとか無事に辿り着いたことに安堵しつつ、初日はいつの間にか眠りに落ちた。

2日目。
朝5時半。
テントから顔を出して辺りを伺うと、空が神々しく光っていた。

素晴らしい日の出の予感に急いで外に飛び出すも、外は凍てつく風が吹く。
気づけばテントの外陰も凍り付いていた。

無事にこの場で朝を迎えられたことに、再び安堵の気持ちが溢れる。

最高のテント場、最高の夜明け。
ここまで頑張って登ってきて、本当に良かったと思えた。

寒さに平伏して一旦外の景色とお別れし、テントの中で朝食を済ませる。
そしてもう一度外に出ると、いつの間にか空は青くなっていた。

そういえば、昨夜は風が強くて何度もテントが飛ばされそうになったなあ。
うってかわって今朝は優しい風が吹いている。

テント場からは、一際大きな存在感を放つ石狩岳。
ニペソツ山より少し標高は低いが、山頂には薄っすら雪が見える。

十勝岳方面はすっかり冬景色。
本州では、年々秋を楽しめる時間が短くなっている気がする。
北海道はどうなんだろうか。

ただ、前天狗岳が立ちはだかりテント場からその全容は確認できない。

ここ前天狗から一気に展望が開け、ニペソツ山の凛々しい山容がドンと目に飛び込んでくることから、この展望を俗に二ぺドンと地元の人は呼ぶらしい。

日中登山での驚きが二ぺドンならば、真っ暗闇の幕営から夜明けとともにこの景色を前にした感動は確実にそれを凌駕している。
なんと表現しようか、難しい。

大絶景を前に既に眼福の極みだが、まだ肝心の山頂を踏んでいない。
テント場から往復2時間半とそこそこ距離もあるため、テントを残して歩みを進める。

テント場から山頂までは、数回下って登り返す。
溶岩の積み重なった岩場には、ナキウサギの声がかくれんぼのように聞こえる。

すばしっこく走り回る分、カメラに収めたときの喜びは大きい。

そうそう。
ナキウサギ探しに時間が取られることも、ペース配分に加味する必要あり。

歩を進める程に、あの格好良いニペソツ山が近づく。
俄然やる気も満ち溢れてくる。

聳え立つ尾根道。
まるで、怪獣のような風貌。
誰もが興奮する大迫力。勿論自分も例外ではない。

天気も予報通り。
ニペソツ山周辺は快晴の日和。

鞍部から見上げてすら様になるニペソツ山。
ここから最後の登り返し。

当時は気持ちが昂っていて、実は道がきつかったかどうかすら、あまり覚えていない。

山頂の看板を捉えた。
あの場所からは、どんな景色が見えるのだろうか。

午前10時、テント場から1時間半で山頂に到着。
と同時に創作物に気づく。
誰だ。こんなところで雪だるまを作ったのは。

山頂は遮るもののない大展望。
西方向は大雪山、十勝連峰がまるで一列に並ぶ。

北方向。
登ってきた道を振り返る。
山頂から見下ろしても、中々の迫力。

南方向。
日高山脈が奥に見える筈だが、眩しくてはっきりとは確認できない。

東方向。
右手には、道中ずっと横に見えていた糠平湖とウペペサンケ山。

ウペペサンケ山はここニペソツ山とは対照的な山容。
ニペが恐れ知らずの尖った息子なら、ウペはどんと構えた親父のような存在感がある。

逆に目を向けると、トムラウシの山頂付近はご機嫌斜めなようで。
表大雪ではなく東大雪を選んで正解だった。

全く気持ちの高揚が収まらない。ずっとここにいたい。
ここまで山との別れが名残惜しかったのは初めてかもしれない。
ただ、往路も長ければもちろん帰路もまた長いのだ。

次来る時までしばしのお別れ、また必ず再訪すると心に決め。
惜別の品として雪だるまを一体追加し、登山道を引き返す。

頑張って歩いたからこそ手に入れたこの展望を、自ら手放すことがやるせない。

晴れ空はもう少し続きそうだが、時刻はもう午前11時過ぎ。
まだテントも置いたままであるし、うかうかしていると今日も日が暮れてしまう。

まずはテント場まで。約1時間。

何度もニペソツ山を振り返る。
ずっと帰路を見守って暮れているのだと思い込み、名残惜しい気持ちを紛らわせる。

晩秋というか初冬というか。
この季節の山の空気感は、いつも幸せな気分になる。

まずは前天狗野営地へ。
急いでテントを撤収し、70Lザックに無理やり押し込む。

ここからは、昨日暗中歩いた道のり。
昨日通ったはずなのに、見える景色は初めてで、気持ちは新鮮。

暗闇の中、心細い気持ちでロープを使い登った急坂。
明るければ怖さも半減する。

木々もすっかり葉を落とし、山腹までもが冬支度の模様。

来週の今頃は、もう完全な雪山だろうか。
秋は本当にあっという間だ。

そうそう、こんな根っこ道も通ったっけ。
一難乗り越えた昨日のことが、既に懐かしい。

そろそろ東大雪の空ともお別れ。
樹林帯に再び入る。

そろそろ空が暗くなり始めてきた。
相変わらず極度のぬかるみ道を何度も超えて、昨日に引き続き日暮れとのリベンジマッチ。

そして今日も静かに佇む三条沼。
昨日と変わらず美しい。

昨日は完全敗北したが、今日は紙一重で夜の訪れから逃げきられそう。

そして午後4時45分。
日没まで20分を残して登山口へ無事帰還。

下山後は、秘湯とも呼ばれる幌加温泉鹿の谷へ。
旅への満足感とお湯にたっぷり浸った。

さて、此処への再訪はいつになることやら。
ニペソツ山は素晴らしい山。
再び会うためだけに、北海道へ来るの良い。